「普通に考えて…」、「常識的に…」
誰もが、こういう言葉を耳にしたことあるはず。自分自身もうっかり発してしまう。
ここで、疑問に思うのが、
そもそも普通って何なの?
僕は、「変わっている」、「変人」、「普通ではない」といろんな人に言われ続け、おかげさまで、今年で23年目になる。
僕が「普通だと思っていること」、例えば、日本の大学で経験してきたことやその他、僕の考えや価値観を仲良くなった友達に一通り話すと、ほぼ例外なく「ばんりって変わってるよね」って言われる。
だから、自分は多くの人が言う「普通な人」ではないのだと、自覚するようになった。
ありがとう。悲しくはない。寧ろ、嬉しい。
でも、「普通」というワードに引っかかる。
「マジョリティに比べて…」という意味で使われているのだろうか。
それって、「個人的な考えからすると…」の間違いなんじゃない?
というのも、「普通に考えて…」というフレーズの後に、いきなり持論を展開する人がいるからだ。日本人、非日本人関係なく。英語だと、”Basically…”、”Generally speaking…”といったところだろうか。
勿論、常識やモラルとされている、所謂、「一般論」から、そのあとの言葉を発する人もいる。
その「一般論」っていうのは、多くの人に共有されうる個人的な考え方や価値観を統合したものだと僕は思っている。それは、文字化させたものや、口伝されたたもので、多くの人に受け入れられているからだ。一方、ある科学者や偉人が生み出して理論や考えが多くの人に受け入れられ、一般化された場合もあるだろう。そういうものは、学問の世界であれば、論文や本という形で、文字化されている。
話を戻すと、いずれにせよ、原点は「個人」である。
違いはなんだろう?
その個人的考えや価値観が、多くの人に受け入れられるか、受け入れられないか。
受け入れられるものが、「普通」と見なされ、そうではないものが「変」と見なされる。ポイントは、それを受け入れる人の数。多ければ、多いほど「普通」とみなされる。シンプルだ。
自分の考えを無理矢理一般化して、「普通に考えて…」と言うのはよした方が良い、という自分への戒めをここに書いておこう。
他人が口にする「普通」は、もしかしたら、単なる個人的な考えや価値観で、「変」のパラフレーズなのかもしれないね。