まずは、問うことから

先日、受けた最後の経営戦略の授業で、学生に向けた先生の言葉が僕の心に響いた。

“All your well-being (uncritically) fits into established systems.”

日本語に訳すと、「あなたの全ての幸福は、(無批判的に)確立されたシステムの中にハマっていく」といったところだろうか。

*先生は、uncritically(無批判的に)という言葉を使わなかったが、後に他人の価値観や既存のシステムに批判的であることの重要性を説いていたため、文脈から以上のような解釈をした。

 

周囲の人々が当たり前のように従っている制度や手続きについて考えてほしい。

多くの人は、それらについて問うことをやめている。

なぜならば、集団心理に従うことで、意見の対立や他人からの攻撃を回避できるからである。

常識や集団的な価値観から逸脱したことを主張し、すでに確立されたシステムを問いただすことをすれば、周囲から「変人」と見なされる。

 

暗黙的に共有された制度や思考方式を無批判的に受け入れるのか?

 

短期的には、そのような生き方は楽かもしれない。

しかしながら、長期的にそんなことばかりしていると、枠組みにハマった思考しかできなくなる。

他人の勝手な常識や価値観にがんじがらめにされた「テンプレ思考」は、いつの間にか自分を疲弊させてしまう。

また、テンプレ思考は、自分にとって何が幸福なのか分からなくする。

そういう思考では、自発的に物事を考えることができないからだ。

そんな人生は苦しい。

悲しいことに、世の中には、まるで自分の意見や価値観をまるで常識であるかのように他者に押し付ける人がいる。

彼らは、時代錯誤の知的財産や個人的な経験をもとにした価値観を是だと譲らず、それに合わない人に対して排他的な態度をとる。

彼らのノイズに囚われて、自分の生き方や幸福について自由に思考できないことは不幸である。

 

 

僕らの親の世代より、人々の生き方はより多様化している。

自分の生き方を変えるきっかけに出会う人が増える程、その傾向はもっと加速するであろう。

海外に出て異文化を体験したり、新たな学問を勉強したり、普段出会えないような人たちと交流したり…

自分の視野を広げ、視点を変えてくれるオプションも多様だ。

そうすると、数十年も前に確立されたシステムが、必ずしも良いとは限らないことに気づくかもしれない。

 

 

小学生の時から、僕たちは最初から決まりきった答えを見つけることばかりを教えられてきた。

しかしながら、問い無きところに答えなど存在しない。

“I look for what fits for me(私(の幸福)に何が合うか、自分で探す)”

冒頭の引用に続いて、先生はそう言った。普遍的な答えはないけれど、それが何か(What is suitable for me?)を問い続けてみるのも1つの選択肢かもしれない。

僕の場合は、

“I CREATE what fits for me( 何が私(の幸福 )に何が合うか、自分で作る)”
→”What can I create for my well-being?/How?( 私の幸福のために何を創造できるか?/どのように?)”

という自分の幸福観を創造するための問いの方がしっくりくる。

 

 

「確立されたシステム」という名の誰かが勝手に作ったくだらない常識や価値観なんて必要ない。

他人によって決められない生き方を問うことで、自らの幸福観を追究したい。

 

写真は、近くのビーチで撮影。

空が冬の訪れを物語っている。

 

 

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