訳あって、先週の金曜から今週の月曜まで東京に行ってきた。
予定の合間を見つけて、この3泊4日の滞在で4人の友人と会うことができた。
この4人と久しぶりに話したことで、自身の幸福度と友人がいかに関わっているかを考えてみた。
そこで気づいたことは、
「多様な友人とコミュニケーションをとることは、自身にとっての大きな幸福である」
ということだ。
最初に、「多様性」という言葉の定義をしたい。
ここで述べる多様性とは、「価値観や考え方」の多様性である。
多様性と聞くと、一概に国籍(出身地)、人種、年齢、ジェンダー等、主に「属性」の多様性を思い浮かべる人がいるかもしれない。
「属性」の多様性の例を考えると、
僕は1年間デンマークに留学していたため、デンマーク人の友人がいる。
さらに、日本では国際的な大学で勉強しているために、アジア諸国出身の友人がいる。
これは、友人の国籍や人種が多岐に渡るという「属性」の多様性である。
留学中に出会った友人や既に卒業または単位を取り終えた友人とは、物理的に遠く離れてしまっている。
しかしながら、そんなことは御構い無しに、今でも彼らと連絡が取り続けている。
その理由は、彼らの価値観や考え方、それらを含めた生き方に魅せられているからである。
というわけで、これには国籍や人種に関する「属性」の多様性のプライオリティは高くない。
友人の多様な価値観や考え方を重視することは、
1つの物事を新たな視点から眺める喜びと同時に、自分の人生において何が重要であるかを気づくことにつながる。
例えば、僕が悩みを相談すると、自身がこれまで考えもしなかったアドバイスをもらい、
ある社会的なテーマについて議論すると、彼ら独自の鋭い視点で意見を聞くことができる。
先日再会した東京に留学しているデンマーク人の友人2人は、日本文学や歴史に強い関心を持っている。
僕のそれらに関する知識は皆無だけれど、与謝野晶子や太宰治の作品の素晴らしさや室町時代の興味深さを力説する彼らの姿が美しかった。
このようなことを聞くことが、僕の知的好奇心が刺激し、幸福感の向上に繋がる。
誤解がないようにしっかりと主張しておきたいのは、「属性」の多様性も蔑ろにしてはならない。
価値観や考え方がその人が育った文化的・社会的背景の影響を多かれ少なかれ受けているからだ。
最初に挙げたデンマーク留学の例を詳しく述べると、
僕は、留学を通して友人と関わりながら、少ないながらもデンマークの文化や社会について学んだ。
そのプロセスで、彼らのパーソナリティに、どのような要因が影響を与えているのか考えるようになった。
友人をより深く知り、理解するために、文化的・社会的背景に目を向けると同時に、敬意を払っている。
そういう意味で、「価値観や考え方」の多様性と、「属性」の多様性の両方を大切にしていきたい。
議論が逸れるが、少しだけ理論的な話をすると、
リチャード・レイヤード(Richard Layard)が提唱している幸福に影響を与える 7 大要素(Big Seven)の中に、「コミュニティと友人」という要素がある。
簡単に説明すると、友人や所属するコミュニティが多いほど幸福であるということである。
僕の場合、友人や属するコミュニティの数的な豊かさではなく、
これまで述べた友人の考え方や価値観の多様性の豊かさが幸福である。
これらを享受し、知的好奇心を刺激することこそが、個人の幸福度を向上させる要因の1つであるのだ。
この写真の景色を見ながら、羽田から飛び立った帰りの飛行機の中でそのようなことを考えていた。
留学を終えて以来、肉的的・精神的両方のエネルギーを失いつつあるように感じていた。
授業、論文、就活、論文…
日々の生活に追われていると、いつの間にか自分を見失ってしまう。
でも、今回の東京滞在で、時間を見つけて僕と会ってくれた4人の友人がたくさんの知的エネルギーをくれたことで、これから自分がすべきことへのモチベーションとなった。
多様な価値観や考え方を持った友人が、忘れかけていた大切なことや今まで気づかなかったことを教えてくれる。
国籍、人種、性別などの様々なバックグラウンドを超え、彼らとしか話せないことを話せる幸福感を感じることができた。
滞在中にあってくれた友人4人、本当にありがとう。