先日、3年間通った大学を卒業した。
3年間は大分、1年間はコペンハーゲンという面白いロケーションの組み合わせで4年間の学生生活を過ごした。
今日は、そんな4年間を時系列で振り返ってみたい。
1年目(2013年4月〜2014年3月)
1年間の浪人生活を終えた。センター利用で合格した東京の私大とAPUのどちらを選択をすべきか迷い、結局後者を選択した。
その理由は、特待生として学費が半分免除されるし、海外交換留学の提携校がかなり多いから。
入学して早々、帰国子女や留学経験者たちに自分の英語力が学内でほぼ底辺だということを思い知らされた。
事実、英語のクラスは下から2番目のレベルでスタート。
『ポンコツな自分が、本当にここで4年間やっていけるのだろうか。』
救いだったのが、最初のセメスターを終えた時の成績が案外良かったことである。
『もう少し頑張ろう。』
そう思った。
夏休みは、図書館にこもって留学するためのTOEFLを猛勉強し、秋にアメリカの大学に申請した。
英語面接に耐えられず、結果は不合格。
うちの大学は、留学申請者が多い。それに加えて、英語ができる留学生も申請してくるから、とにかく校内申請自体が激戦だった。
それでも、結果を出せないことに苛立ちを感じていた。自分の人生は前に進んでいないような気がして。
この頃、過食で出てきたお腹を引っ込めるために筋トレをスタート。
2年目(2014年4月〜2015年3月)
夏休みの1ヶ月半、アイルランドに語学留学に行かせてもらった。
生まれて初めてのヨーロッパ滞在。
ほとんど英語ができなかったのに、日本人あるあるの文法ができるという理由で1番上のクラスに入れられた。
バーガーキングでまともに注文ができない、先生が口頭で言った宿題を正確に聞き取れないレベルなのに…
事実、宿題は自分だけ違うページをやっていて、先生に他の生徒の前で吊し上げられた。すごく恥ずかしかったのを今でも覚えている。
それでも、数週間頑張っていると意外と何とかなるもので、後半はクラスに辛うじてついて行けるレベルになった。
一方、他のヨーロッパの国(特にイタリア)から来た友人がたくさんできて、APUでアジア出身の学生としか関わっていなかった自分には新鮮だった。
帰国後、2度目の挑戦でコペンハーゲン大学に交換留学を申請。
理由は3つ。
- 1年留学できるなら、日本人があまり知らない国に行きたい。
- 世界ランキングトップ100に入っている大学で勉強したい!
- デンマーク幸福度の高さと社会福祉の関係を自分の目で確かめることができたら面白いそう。
日英の書類審査、2回の英語面接をパス。
『やっと、スタートラインに立てた。』
そういう嬉しさを感じていた。
3年目(2015年4月〜2016年3月)
『そういえば、アルバイトをしてない。』
卒業前に社会経験を持ちたいと思い、ホテルのバイトを5ヶ月間させてもらった。
学業と留学の準備しながらのバイトは身体的に辛かったけれど、自分でお金を稼ぐ経験や、社会人と接点を持てたことが良かった。
それに加えて、学内の英語のクラスでオーストラリア人の先生のティーチング・アシスタント(TA)もさせてもらった。
やることをやりきって、渡航したデンマーク。
大学院生の授業についていけない、友達はできない、モラルがない留学生がたくさんいるカオスな寮に生活しているという三重苦で年明けまで、とにかく忍耐だった。
『国と大学の選択間違えたかも。』
一時は、留学の期間を短縮して半年で帰ろうかと真剣に考えていた。
寒く、暗いデンマークの冬に耐えられず、日本からやってきた弟と大陸ヨーロッパを旅行した。
そうして、2015年を終えた。
2016年、新しい寮に引っ越したと同時に気分が明るくなった。
理由は、ジム通いを再開しておかげで体調が回復し、環境の良い寮で1人の時間を大切にできるようになったから。
また、12月には、3時半であった日没の時間も次第に長くなり、日照時間が長くなったことで留学生活を楽しめるようになった。
4年目(2016年4月〜2017年3月)
留学は、終わりに近づく。
前年9月に始めた北欧研究所のインターンでの個人プロジェクト、『幸福とは』が軌道に乗り始めた。
それに伴い、将来自分が勉強したいことが少しずつ見えてきた。
インターンと授業の合間にイギリスへ旅行した。ロンドン、オックスフォード、バーミンガムで友人と久々に再会できたことが嬉しかった。
それと同時に、デンマークの春と夏を謳歌することができた。夜は10時半くらいまで明るく、朝の3時半くらいから日が昇り始める。
帰国後、六本木で自分の成果物を発表する貴重な機会をいただけて、悔いなく約11ヶ月のインターンを終えることができた。
10月から始まった最終セメスターは、辛かった。
専門科目16単位(講義8つ相当)+卒業論文&ゼミの単位が6単位の合計22単位が残っていた。
『本当に、卒業できるのだろうか。』
何人かの友人には、既卒になって就活で不利にならないように、卒業を延期すべきだと言われたけれど、学費の面で親に負担をかけたくなかった。
課題やグループワークが多いAPU。友人と徹夜で卒論やレポートを書いた。
その甲斐あって、優秀卒業学生に選ばれ、4年間の学生生活が幕を閉じた。
現在
『学生時代に一番頑張ったことは何ですか?』
就職活動の現在、ESや面接でこの質問にいつも困惑する。
何故ならば、学生生活の4年間でどんなことも真剣に取り組んできたからだ。
学業、PA、TA、ホテル・家庭教師のバイト、留学、インターン…
この中から選んで1つを選んで選考官に自分の思いを語っても、面接で全てを伝えることはできない。
言葉にできない多くの思いがこれまでやってきたことにびっしりと張り付いている。
1つ1つのことに挫折・成功体験や多くの人との出逢いがある。
それらを1,2分で簡潔な言葉で表すことに対して、心のどこかで抵抗を感じている。
最後に
『不幸ではないけれど、幸せではない。』
高校から浪人生活までの4年間、どこかで頑張りきれない自分は苦しんでいた。
そんな状況を打破しようと、大学4年間はひたすら走り続けたのかもしれない。
特に後半の2年間で自分の興味のあることに没頭するうちに、苦しみはどこかへ行ってしまった。
それまでは、結果を出すことが一種の強迫観念のようであった。
しかしながら、今自分にとって重要なことは、結果までのプロセスを心置き無く楽しむことである。
それができるようになり、自分自身に幸福をもたらすことできたのかもしれない。
4年間僕を支えてくださった人たちのおかげで、このような自分の幸福観が形成された。
特に、苦しんでいた時期を痛みを共有してくれた人たち、僕の悩みに耳を傾けてくれた人たち。
お陰様で卒業できました。
本当にありがとうございました。
写真は、夏の夜に撮影したダブリンの名もない公園にて。
これを眺めていると、辛い時でも自分の原点に戻れるような気がする。